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―僕が働き始めてから、歴代スタッフより矢野さんのお名前を耳にすることが多かったんです。矢野さんとELLとの出会いって何がキッカケだったんでしょうか?


矢野 晶裕(以下略)「あの時代、栄でストリートライブやってるバンドが多かったんですよ。それで興味あったから良く見に行ってて。後々気付くんですけど、そこにいたのはELLに出てたバンドばっかりだったんですよ。その時はELLの存在も知らないぐらいだったんですけど。中学2年生の時だったかな。その中で、衝撃的な出会いをするワケです。『JERRY LEE PHANTOM』ってバンドなんですけど。ここのボーカル、ひさしさんの歌い方とかMCとか全てにやられてしまって『俺、この人になりたい!!』って(笑)。
それで通ってる内にELLでライブやるって話を聞いたんだけど、ELLって何??って状態なんですよ。でもMCで絶対来てくれって言うから、中学生にとっては高い¥2,000のチケットを初めて買ったワケですよ。」

―人生初のライブハウスがELLだったんですね!


「そう。それで下見にいくワケですよ。場所も何にも知らないから。そしたらめっちゃ怖いんですよ、雰囲気が・・・。当日はキチッとオープンの18:30に、チケット握りしめて行きましたよ。雰囲気だけではなく、入口のスタッフさんも実際怖かった(笑)。後々、バンドをやり始めてすごく仲良くなりましたけど!それが、ELLとの出会いですね。」

―それにしても、中学生が1人でよく行きましたね。僕は大学生の時でも行けなかったですよ。


今と違ってポピュラーな文化じゃなかったもんね。コアな人の集まりでしたよ。だからこそ、今よりもずっと神聖な場所って感じはあった気がする。トイレいったらきったねぇし、くっせーし(笑)。でもそれがカッコいいって思っちゃったんだよ。ライブ始まる前のSEとか、楽屋の扉が開いた時の光とかも。」

―すっかりハマっちゃったんですね!そうしてお客さんだったはずの矢野さんが、ステージに立つ側になっていくと。


「通う内に『NIRVANA』と『BLANKEY JET CITY』という2つのバンドを知るんです。そして憧れの『JERRY LEE PHANTOM』。やっぱりバンドをやりたくなるじゃないですか。でも、最初からELLに出るのはおこがましいなと思ったんですよ。スタジオとかで多少経験を積んだ後、スタジオで一発録りのカセットテープを持って、ようやくELLへ足を運ぶことになるんです。今度はアーティストとして。他に行く時にはなかったドキドキがすごかったですよ。」

―それはやっぱり、憧れのバンドが出てたから?


「そうそう。その時はシゲさん(ELLオーナー)には会えなかったんですけど、僕らの音源を聴いてくれたスタッフさんからもアドバイスを頂いて。もうどんどんELLが好きになっちゃった(笑)。そういえば、ELLのステージに立つ前の野外ライブで、ひさしさんとかELLへ見に行ってたバンドさんたちが、見に来てくれたんですよ!もうめちゃくちゃ嬉しくて・・・。これは一生忘れられない!しかも、その場でひさしさんがチケット買ってくれて。」

―めっちゃ良い話だ・・・。もしかして、初めて売ったチケットは・・・


「そう、初めて売ったのはひさしさん!俺のライブハウス初ステージを見てくれたのは、ひさしさんとあいこさん(JERRY LEE PHANTOM)。そんなことされたら頑張りますよ!それでELLに初めて出る時は、怖い所だったから自分も怖くいかないとって勘違いしちゃってて。その時には『NIRVANA』と『BLANKEY JET CITY』の影響も受け始めてたんで、入りの時から入り込んじゃってたんですよ。『お疲れっすー』みたいな(笑)。演じてるわけでもなく、ほんとに入り込んじゃってて、今思えばすっごい生意気で、良く怒られなかったな、と(笑)。」

―入り込むってなかなか出来たことじゃないですよ。絶対に理性が働いちゃいますもん。


「スイッチが入っちゃうってなかなかないですよね。勘違いしないと無理だもん。でも、その勘違いが良くて後に『CHOKO』ってバンドを組んだときに、人気が出たんじゃないかな、って思う。感受性が豊かな子だったんでしょうね(笑)。そのおかげで色々と悩んだこともありましたけどね。」

―と言うと?


「学生時代にイジメを受けたことがあって、生と死について考え混んじゃったりもしましたし。」

―え!イジメですか?正直意外です・・・。確かにこの世代って、流行ったと言ったらおかしいですが、イジメ問題が大きく取り上げられてましたよね。
「そうそう。音楽の流行も、ロックからクラブへ移りかけてた時だったから、ロックバンド組みたいってことがダサく見られてた気がする。でも俺は、セントラルパークでやってるカッコいい人たちの姿を知ってるから。その人たちにシンパシー受けてたから、道は曲げなかった。俺、ずっと人に褒められたことがなかったんですよ。頭も悪ければ、運動もできなくて。でもバンドをやり始めた時に、憧れの人に認められて。ひさしさんに『センスあるよ』って言ってもらえたし、ELLの人たちにも認めてもらえてた気がするし、お客さんも増えてきてたし・・・。音楽に救われたんですよ。そのキッカケを与えてくれたのはひさしさんであって、シゲさんであって、やよいさんであって、ELLなんですよね。そういう場所なんですよ。」

―その時に関われていなかったのは寂しいです・・・。すっかり入口が長くなってしまいましたが、矢野さんがずっとやってきているイベント『YANO FES』が、遂にELLで行われます。このタイミングでELLで行うことに決めたのは?


「まず、このイベントはELLで行う前に、名古屋の他のハコで何回もやりました。それは、ELLでやることは恐縮っていう当時の俺の気持ちがあったからなんです。あと、ELLでやる時は地元バンド中心にやるって決めてたんです。」

―それはなぜでしょう??


「シゲさんから教わったことの1つに、『ツアーバンドが来た時に、恥ずかしくない状況にするのが男だぞ』というのがあるんです。簡単に言ってしまえば、動員しろってことなんです。地元で頑張ってるバンドが、ツアーバンドに動員で負けるってそれはカッコ悪いよね?ロックとしてってことを教えてもらったんです。それをここでやりたくって。無名でもいい。年齢も関係ない。この考えをわかってくれる出演者しか、今回入れてないです。」

―ご自身の→SCHOOL←だけでなく、CANDY SOUL所属のアイドルも出演し、全体も見なければいけないんで・・・矢野さんめちゃくちゃ忙しい1日ですね。


「野外を見に行っていた始まりから今に至るまで、やっとこの歳になって自分の事が少しずつわかってきて、その間スイッチの切り替えができないブレブレの時代もあったけど、やっとそれも出来るようになってきた。だからこその、ELLでの『YANO FES』なんです。矢野 晶裕の全てをぶち込むには、ELLしかないんです。→SCHOOL←だけやってても、矢野の全てじゃないんですよ。一緒に頑張ってるアイドルも含め、全てをぶつけていきたい。今の矢野を知っている人たちだけでなく、これを目にした昔の矢野を知っている人も、懐かしんで来てもらえたら嬉しいです。とにかく気持ちをぶつけていきます。」

 

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